2021.3.16身を切る削減と民意を知る努力を

 市議会3月会議の一般質問は、6人もの議員が市の財政について問うた。白川市長が市議会2月会議と3月会議冒頭で述べた施政方針の「市は財政不足に陥っている」との言葉を受けてのものだ。

 一連の質疑に対して、今回ほど納得と疑問が交差したことはない。白川市長は、数人もの議員からあった質問の「財政不足の原因や状況を問う」に対して、幾度も「財政は今も健全だ」と返した。この質疑のやりとりには、疑問が頭をかすめる。「財政が健全であるならば、なぜ住民サービスの低下を招くような削減をするのか。なぜ民間事業者などとの契約解除をするのか」。

 市長は「このままの財政運営であれば、いずれ健全ではなくなる」という説明をした。この答弁の意味がよくわからないのだが、健全ではないからこそ、市民に大きな痛手が及ぶかもしれない財政改革をするのではないのか。今も健全であれば、今回起きている削減策のような方法は取らなくてもいいのではなかろうか。市の財政は健全であるが、市民には痛手をお願いするなどと言っても誰が納得しようか。

 市が昨年12月に公表した中期財政計画を見ても、財政調整基金や減債基金残高は数年後には枯渇する見通しだ。さらに数年さかのぼっても同様に基金残高は厳しい。この状況から見ても、本市の財政は決して健全とは思えない。健全ではないからこそ、各削減策を講じるのであろう。おそらく市長は「今はまだ財政危機ではない」と言う意味で述べたのではなかろうか。しかし、このままの財政運営を続けていけば、いずれ基金は枯渇し、危機に陥るのは予想できる。

 市民にも大きな痛手となる協力を求めるのであれば、行政運営で非があることを認めた上で、自ら痛手を受け、後にお願いするのが筋であろう。現在の財政、そしてこれまでの財政運営については、社会的な環境の変化、各事業の予算編成の見通しの誤り、きちんとした精査と検証すべき事業から止めるべきを止められなかったこと、さらに、早期に見直すべきだった施設管理や4庁舎分庁による非効率な行政運営など行政改革の遅れなどを説明すべきだ。

 我々の世代で陥ってしまった財政不足を次世代に残してはならない。これは当然だ。物事には原因があり結果がある。財政不足に陥ったことも同様に原因があって起こり得た結果だ。だからこそ、財政不足の原因をきちんと究明し、早期に改善せねば、この先も住民サービスの低下や公共事業縮小などは収まるはずはない。

 議員の質疑には、「財政は健全と、市長の言葉をこれまで信じてきた」とある。議員の立場でその認識は大丈夫か。議員はマスコミや市民以上に市政の情報に触れている。市議会全員協議会という、マスコミどころか市民でさえも傍聴できない密室の会議があり、そこで市長から説明を受けているはずだ。財政不足は、記者でさえも予測できていた。ならば、議員はさらに先を予測できたはずであり、それが議員たるものの仕事だ。今さら「信じていた」など、口が裂けても言ってはならない。市長や執行部の説明を誰よりも多く聞いていた立場であれば、自身の分析力や情報収集をせねば、何のために市民は一票を投じたのかが無意味になる。

 市民へ痛みを強いる協力を求めるのであれば、市は身を切る改革で市民に理解を求め、議会は民意を反映させる努力をせねば乗り切ることは難しい。