2023.4.18「島の科学」創刊60周年で幕
ふるさと壱岐への愛を学問という形でつづった冊子がある。壱岐「島の科学」研究会が発行する「島の科学」だ。国際登録番号を持ち、国会図書館にも収蔵されている壱岐の貴重な資料が、今年の3月をもって60年の歴史に幕を下ろした。
同会は石田町出身で八幡半島の化石調査などを行った歴史・地学、民俗学研究家の林徳衛氏と当時の小中学校の校長ら数人が「壱岐の自然や文化、社会に関する科学的な調査研究を行い、島の向上、発展に資する」という目的を掲げ結成した。同冊子は会員の研究の成果をまとめたものだ。歴史、文学、民俗学、観光など多彩な論文があり、1965年に刊行された創刊号から第59号までの執筆者はのべ695人、560編を超える。2008年からは4代目会長の山内正志会長(85)が発行人となっている。
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創刊号から編集作業に携わっていた山内会長は当時25歳。長崎大学を卒業し、渡良中で理科の教師として働いていた。山内会長は「林会長も会員も子ども達や若い人達を育てたいという気持ちが強かったんですね。自分達が地道に歩いて研究した内容を掘り起こして伝えたいと思っていました。最初はA5サイズでわずか39ページ。原稿が集まらないから、先生方に授業の仕方なんかも書いてもろうて、なんとか冊子にしました」とスタートを振り返る。
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第3号からはB4版で年1回の発行が定着した。歴代の執筆者に目を通すと、植物学者の品川鉄摩(てつま)氏や民俗学の山口麻太郎氏など著名な研究者が名を連ねている。一方で壱岐高生物部や壱岐商商業部など学生による活動の記録もあった。研究者と肩を並べて紹介されることは、子ども達の学びへの意欲を大いにかきたてたのではないだろうか。山内会長も同冊子の思い出の一つとして壱岐高の「サソリモドキ」の研究を挙げている。
壱岐高の長嶋哲也教諭と生物部が1990年27号に島内で発見したサソリモドキという生物について発表した。その後しばらく研究が途絶えていたが、2018年55号で同校の生物部が『壱岐のサソリモドキについて~27年の時を経て、再び~』という研究成果を披露したのだ。およそ30年の時を超えた研究の橋渡しとなったのが同冊子だった。「若い人達がこうして研究してくれたことに驚いたし、最高にうれしかったですね」と山内会長は感慨を込めて話してくれた。
山内会長は、教え子や島内を訪れた研究者、教師にも執筆の声をかけた。読者から掲載してほしいとの声もあったという。
「赴任したことがきっかけで壱岐を研究し、島外に異動になっても調査にやってきて原稿を寄せてくれる人もたくさんいました。壱岐商で学生と一緒に方言や昔話などを集めていた野本政宏先生は、引退して大村市にお住まいになった今でも原稿を寄せてくださっています。90歳近くになっても壱岐に関心を寄せてくださっている。『カエル先生』でおなじみの松尾公則先生は島外に出られてからも年に一度博物館で講座を開いてくれる。つながりは続いているんです」
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執筆者達の壱岐への愛情と学問への情熱が離島に高度な知の交流を生んだ。そのきっかけとなった同冊子が、なぜ60号にして終わりを迎えることになったのだろうか。それは、紙媒体の衰退と会員の高齢化が影響している。
同会の会員は現在17人。ピーク時の2012年には32人を数えたという。初期は200部、現在は120部ほど印刷されているが、その多くは会費でまかなわれている。壱岐の研究資料に役立てたいと図書館など公共の施設や学校に寄贈し、販売数はほとんど無いためだ。しかし高齢化とともに会費は減少。自治体からの助成金は出るが、こちらも年々削られているそうだ。
さらに、若い世代ほど調査や参考資料にインターネットを多用するため紙媒体自体の需要が著しく低下している。冊子の存在意義を考えると、継続は難しいと山内会長は痛感している。
「60年間、島内外に知識を発信できた。ここが潮時と会員で話し合って幕引きを決めました。本音は寂しい。一生懸命作っていたから、やっぱりかわいいんですよ」
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インターネットには数多くの情報が存在するが、同冊子ほどさまざまな角度から深く壱岐を掘り下げた内容は見当たらない。
「こうした知識を必要とする人達や残したいと思う人がきっといるはず。若い人達がデジタル時代に合った発信方法で立ち上げてくれることを期待します」と山内会長は締めくくった。
ページをめくれば、そこには探求する喜びと壱岐への愛情が詰まっている。同冊子が成した功績や意義をどう受け止めるか。偉大な知のバトンは今、私達の手に託された。