2022.5.24国政目指し「がんばろう」、山本氏へエール

山本啓介氏の参院選出馬応援に約750人が集結、県政報告会で強い決意

 

 7月10日に予定される参議委員議員選挙の長崎選挙区(改選数1)に、自民党長崎県連から出馬の意向を示す山本啓介県議(46)が14日、壱岐の島ホールで県政報告会を開き、国政への意欲を見せた。会場となった大ホールには約750人の支援者が集まり、一丸となって国政に送り出すことを確認し合った。山本氏は「今の私があるのはこれまで支えていただいた市民みんなのおかげ。これまで通りの気持ちの持ち方で国へと進んでいく」と思いを述べた。参院選出馬のために県議会議員を辞職し、今月26日に議長へ辞表を提出する予定だ。

 報告会には、当初予定されていた来場者数500人を大きく上回り約750人が集結。予想以上の盛り上がりを見せた。運営側は連日確認される新型コロナの感染防止を徹底するため、入場口では来場者への検温実施や手の消毒などで万全を期した。

 県政報告で山本氏は夏の参院選出馬の決意を語った。「県政から一歩踏み出し国政に挑戦する。これまでは壱岐市のことを思いながらの11年間だった。多くの人達に言葉や姿勢で学ばせていただいた」と感謝を述べ、「選挙は乗り越えねばならない第一関門。これまで通り背中を力強く押していただければ必ずクリアできる」と自信を見せた。

 自民党壱岐支部江田和夫支部長は全力で応援することを決意。「本市からは1942年以降、80年間にわたり国会議員を輩出していない。今回の参院選に向け、本市は大いに盛り上がらなければならない。地元壱岐が盛り上がれば、県下の人達も必ず応援してくれる」と檄を飛ばした。

 白川博一市長は祝辞で「本市は毎年、独自の要望を県知事に対して提出している。その席に山本氏も同席し、意見を述べている。その結果、さまざまな施策が実現した。先の県知事選では、大石新知事の誕生に先陣を切って奮闘した。県知事との信頼関係と太いパイプも構築された。国政進出は市民の夢でもある。必ず実現を。私も一支持者として、全力を尽くすことを約束する」と激励した。

 山本氏の支援のもと、実現した県知事への要望は、2015年に壱岐市民病院が県病院企業団に加入し、県壱岐病院となった。勝本港の埋め立て工事や芦辺港ジェットフォイル乗り場の移転、石田港の新設整備工事、郷ノ浦港ジェットフォイル乗り場のバリアフリー化のほか、今年度から始まる駐車場整備を含めた総合整備など。

 山本氏は、県立壱岐高校を卒業し、皇學館大學文学部国文学科を修了。衆議院議員事務所に入り、防衛庁長官公設第一秘書、衆議院議員公設第二秘書を経て、2011年の県議会選挙に35歳で初当選。以降、3期11年を務め、県議会総務委員会委員長や自民党県連総務会長、幹事長を歴任した。

 県議会では、犯罪の被害者と遺族への見舞金支給や対応窓口などを定める「県犯罪被害者等支援条例」の制定を実現。離島の産業活性化と国際企業誘致の取り組みとして、インドの情報通信企業を本市に誘致するなどの実績がある。2月に行われた県知事選挙では、自民県連幹事長として大石賢吾新知事の誕生に貢献した。

 今夏の参院選長崎選挙区で不出馬を表明した金子原二郎農林水産大臣の後任候補として、自民県連が山本氏を公認した。今後は県議会議員を辞職するため、26日に議長へ辞表を提出する予定だ。

 

山本啓介氏、国政への決意

 

 白川市長の祝辞を聞き、県政11年のさまざまな思い出を振り返った。行政と民間の力を借りて、ひとつ一つの課題の解決に取り組んできた年月だった。

 今回、47年間にわたり政治の道を歩まれた金子原二郎農林水産大臣の後継として自民党公認をいただいた。7月10日に予定される参議院選挙に出馬する決意を固めた。「国民の生命と財産を守る。我が国の領空領海を守る。そして国家の主権、我々の誇りを守ること」。これらが国の役割であれば、実行することが国会議員の役割であり、私自身が国政の場で実行する覚悟ができたので、出馬するに至った。

 私は2011年に県議選に初当選した。しかし、2007年の初の選挙では現職に敗れた。その時は、秘書をやめた半年後、すぐに出馬をしたことに「世間を舐めている。物事がわかっていない」などの指摘が向けられた。その後の4年間を学びの時間とし、次の選挙で県政に送り出していただいた。

 初当選の年は、東日本大震災の年だった。被災地の救助や支援の取り組みのすばらしさ、消防署や行政の働きを目の当たりにした。現在はコロナ禍で大変な最中にある。皆が生活行動など制限を受けざるを得ない中、動きを止めずに社会で活動している方々もいる。このような方々への感謝と敬意の精神を持つことが必要だと感じた。

 また、ロシアとウクライナとの戦争も起きている。我が国の近隣では北朝鮮によるミサイルの脅威もある。国際情勢も混乱と厳しい状況にある。このような時、どのようにして国民を守ればいいのか。私は、憲法や国家を守るという発想よりも、どのようにして国民を守るのか、このことにしっかりと向き合う政治家が必要であると思う。議論していくことから逃げない、正面から受け止める政治家として今後も進んでいきたい。

 経済については、経営に関わる人達と行政とのつながりで、私は「官と民のゆるやかなつながり」を打ち出す。県下21市町を回り、課題や問題の中に、地域ならではの可能性に気が付く。しかし、国や県の施策や支援は、その地域を押し並べて一律に支援ばかりが用意される。各地域にはそれぞれの歴史や経緯、事情や都合がある。これら状況にあった支援策を国から引き出していくべき。

 SDGsの取り組みでは、「今の暮らしにあった取り組みができないか」と聞く。SDGsは現在、世界で声高に言われているから注目しているのであり、我が国が地域で持続的に行なってきたことを文字に起こしただけだとの認識を持つ。循環型の社会は各地でやってきた。

 そうであれば、行政が取り組む施策はそれほどかけ離れたものではない。価値観や世界観、認識を共有することでSDGsが理解でき、地域の産業にも活かせる。これこそが「官民のゆるやかなつながり」になる。

 地域に何が必要なのか、地域の振興のきっかけが何なのかを官民がともに考え、ビジネスモデルとして構築していくことが必要。その時に、さまざまな法令や条例がじゃまになるのであれば、国が用意する国家戦略トップなどを活用しながら、本市の振興を妨げるものを、本市だけ外してもらう、あるいは緩和してもらう。このようなことを積極的に進めねばならない。全国の自治体の力を今一度確認、再評価と再認識し、自治体が独立していくよう官民がともに取り組まねばならない。私はその仕組みづくりを国政の場で取り組んでいく。

 今後、県政から一歩踏み出し国政に挑戦する。これまでは壱岐市のことを思いながらの11年間だった。多くの人達に言葉や姿勢で学ばせていただいた。この大きな体を作ったのは、すべて私に対する壱岐の人達の気持ちだったと再認識している。

 国政に進むにあたり、選挙は当然乗り越えねばならない第一関門だ。壱岐市民のみんなと歩んできた11年。これからも変わらず、「みなさま方の近くにいる相変わらずの山本啓介が、これまで通りの気持ちの持ち方で国へと進んでいく。その背中をこれまで通り力強く押していただければ、第一関門もクリアできる」と信じている。

 前に進むには今の立場を辞めなければならない。5月26日に県議会議員を辞職するよう、議長へ辞表を提出する。11年間に感謝する。みんなの支えがなければ今日までの道のりはなかった。再びその先の道のりをみんなとともに歩んでいきたい。

※要点を抜粋し掲載。