2024.2.19命の重さを軽んじてはいないか

 またしても本市で痛ましい事件が起きた。壱岐署の発表では、芦辺町の雑木林で近くに住む20歳の女性の遺体が見つかったという。

 報道資料には詳細について書かれてはいないが、他報道などの情報を断片的に確認したところ、亡くなった女性は、先月25日の夜から行方がわからなくなった。警察が行方を捜していたところ、9日午前10時ごろ、自宅から2㌔ほど離れた雑木林で死亡しているのが見つかったということのようだ。

 死亡事件発覚前週の6日ごろから、当紙には芦辺町の一部住民より「何か起きているのではないか。パトカーがやたらと走っているようだが」などの情報が寄せられ始めた。その後、「行方不明者がいるそうだが、何か知らないか」「海岸近くで遺体が引き上げられたと聞くが本当か」など、デマを含めた情報が錯綜した。報道は、警察などの関係所管から公式の情報が来なければ、正確な状況はつかめない。しかし、公式な発表よりも住民の情報が早いことは多々ある。今回がその一つであった。

 頻繁とまでは言わないが、本市では時々、防災無線による行方不明者の放送がある。一刻も早い捜索と目撃者の情報収集、早急な発見が必要とされることから、防災無線は有効な手段の一つであることは間違いない。実際、この放送によって見つけ出された例は多々ある。消防団の協力も捜索する上で重要な役割となる。

 今回の事件になるが、行方不明から遺体が発見されるまでに15日もの空白の時がある。この間、島内全域で行方不明者捜索の防災無線が流れることはなかった。ある消防団員の話では、捜索届けは来ていなかったともいう。捜索届けが出ていなかった理由はいくつか考えられる。家族など身内がことを大きくしたくないなどの理由で出さなかった、あるいは、近い関係者だけで見つけ出そうとしていたなど。推測でいくらでも理由はあげられる。しかし、結果的に行方不明の後に死亡が確認された。人の命は何よりも重い。約1年前の離島留学生の事件でも同様のことを書いた。

 当然なのだが今回、女性の遺体が発見されたというニュースを見た市民の中には「なぜ、防災無線などで呼びかけをしなかったのか。そうすれば、消防団や警察などが一斉捜索を行なったはず」と憤った声で当紙に訴えた人もいた。

 地域の情報などから見えてきた背景では、行方不明になった女性は精神的な障がいや不登校などの問題を抱える子どもたちが居住するフリースクール施設に入所していたという。この施設は島外に本社を構える民間会社が運営し、地域住民もほとんど施設の存在を知らなかったようだ。本市にある空き家を活用し、島外から入所者を募集し、共同生活を行なっていたようだ。地域との交流もほとんどないと聞く。同じ地域に住みながら周辺住民からは謎として見られていたようだ。当然、行政が運営する福祉施設や離島留学生制度との関連もない。

 他人の子どもなどを預かる施設であれば、どのような理由や背景であれ、責任は重大だ。離島で事業を営むのであれば、地域との交流を持つ必要はあって当然のこと。都会よりも狭い離島ではコミュニティを重要にしなければ、孤立を招くだけだからだ。施設運営の方針や本市で施設事業を行う理由など、背景はさまざまにあるだろう。しかし、何らかの理由で人ひとりの命が絶たれた。なぜ、早い段階で一斉捜索に踏み込めなかったのか。なぜ、早期に情報を公開しなかったのか。悔やまれてならない。