2024.4.12候補者を見抜け、最重視は「公約」
市長選の投開票日が間近に迫ってきたが、ここまで票の動きが読めない選挙も珍しい。3月末あたりから、ことあるごとに筆者は多くの市民から市長選の行方を問われた。「誰に投票するか判断できない。誰に入れようと思う?誰が勝つと予想しているか?」と問われ「まったく読めない」と答えた。自分が誰に投じるかさえも見えない状況で、全体の票など読めるはずはなく、本音の回答だった。
今回の選挙は、4期16年に及んだ白川市政から新たな市政へと変わる変革の時でもある。白川市政について市民の意見では賛否両論がある。光ファイバー網の整備や県病院企業団加入による壱岐病院の発足など、功績は多々ある。一方で市民からは不評だった施策も多々ある。
4年前の市長選では、一騎打ちの末にわずか約300票差という厳しい選挙で白川市長が勝利した。その後、2021年には、市民団体による市長の責任を問うリコール署名活動が起きた。この2つの出来事でわかることは、白川市政に対して市民の約半数が否を示していたことだ。市民の半数は現市政の継続、半数は市政刷新の考えがあることになる。今回の市長選は白川市長が不出馬を表明し、新たな新人候補4人が争う構図となった。しかし、冒頭で述べたように、多くの市民は誰に一票投じればいいのかわからないという。
本来、市長選など首長の選挙は、自分が住む自治体のリーダーを誰に託すべきなのかを選ぶという、至ってシンプルなもののはずだ。そのために各自が掲げる政策があり、有権者はその政策から、自分や家族、子、市や町の未来像と照らし合わせ判断するものだ。
先に述べたように、市民の考えは市政継続と刷新に分かれている。しかし、いざ選挙となれば「団体の長から誰々と言われたからその候補者に票を入れる」「知り合いや取引先、地域でまとまったから誰々に票を入れる」など、他人まかせがあまりにも多い。
この選択の中に、自身の思いや理想とする市政はどこにあるのか。子どもたちの将来を考えた末の一票なのか。こういうことだから、選挙後しばらくすれば市政に対する「あきらめ感」や「長いものに巻かれろ」などの虚無感になる。彼らは、候補者に一票を投じたのではなく、隣近所や仕事先、団体の長に一票を投じたに等しい。まさに無駄な一票だ。そろそろこの悪循環をやめてはどうか。
さらに言えば、市民の生活に直接関係がない政治の有名人物などの名を借りた、他力本願も論外だ。必要なことは「候補者自身はどうなのか。能力はあるのか。仕事はできるのか」。選挙に関係ない有名人物が、私達市民の生活を直接助けることなど一切ない。選挙期間中のみの票集めに過ぎないことを、そろそろ有権者も気が付いてはどうか。
過去、そして今回の選挙を見て思う。相変わらずの昔気質のやり方に、ほとほと嫌気がさす。今回は新たな時代に向けた選挙にも関わらず、いつまでも昭和のままを引きずるつもりなのか。
冒頭にある「筆者ならどう選ぶか」。「人物像や人脈2割。公約の実現性が8割。実現不可能な夢物語の公約は論外。基準は仕事力」。選挙後1年先、「この市長に投じて後悔した」など再び言わぬよう、しっかり公約を見て自身で判断を。