2021.2.23今も終わらぬ市民の怒り

 年末年始にかけて本市で発生した新型コロナウイルスの感染拡大について、多くの市民の声が前面に現れ、民意に含まれた市民のチカラを改めて知る機会となった。特に、当紙1月15日発行号から今回号までの投稿欄「目安箱」には、途切れることがなく毎回さまざまな意見が届く。

 その中で注目すべき意見は、今回の新型コロナ感染拡大の発端となった12月24日の市職員らが開いた大人数の会食よりも、同月18日に三役、市議、市職員幹部らによる懇親会開催の是非を焦点としている投稿だ。

 これまで当紙では「全国に拡大した感染は、今や誰が感染してもおかしくはない」と言い続けた。注意を怠らぬようにしていても、どこでどのようにして感染してしまうかわからないのが現状だ。人と全く接しない生活など無理な話になる。感染しようと思って感染者になったわけではないのは当然だ。だからこそ市民は感染リスクが高まる大人数の会食や会合を自粛して、感染防止に努めてきた。会食のあり方のルールを破ったことが問題であり、感染したことは罪ではない。

 白川博一市長は、先月26日の市議会1月会議で、市職員によるクラスター(感染者集団)からの感染拡大と、医療体制のひっ迫などの責任を明確にするとして、三役の給与を3か月間1割減給とした。理由は管理監督責任だという。この責任の意味は、市職員が感染を拡大させたからなのか。

 どこの自治体や団体でも、感染したから、あるいは感染を拡大させた(意図せず)から処分という事例はないはずだ。国政でも同様に国会議員による会食が問題とされたが、処分や責任の対象は多人数で会食を開いたことに焦点が当たる。感染の危険が伴う行為だからだ。

 となれば、三役の減給や市職員幹部らの管理職手当1か月分返納は、大人数で会食を開き、感染防止対策を怠ることで市民を感染拡大の危険にさらしたことが重要な問題であり、責任の対象となる。結果的に、12月24日の市職員の会食で感染が発生し、同月18日の懇親会では感染者が出なかっただけで、感染防止を怠った行為は同じになる。

 県は12月14日、県職員や県民に対して感染防止のために「5人以上の集まりは控えること」と書面で呼び掛けていた。その後、なぜ本市職員や三役らはその諸注意を無視したのか。白川市長は先月20日、自らも参加した懇親会を「危機意識に欠けたことを反省している」と市民へ謝罪した。しかし、減給処分となった12月24日の会食と同月18日の懇親会は、同様に重みのある「怠りの行為」ではないのか。一連の処分をみれば、12月24日の会食が罪となり、同月18日の懇親会は謝罪のみの対処としている。感染を拡大させた市職員の行為を罪とし、他の事例は「たいした問題ではない」と言わんとしているようにさえ思える。

 今後の市政のあり方や、市の危機管理能力を測る意味でも、この問題はこのままなし崩しにしてはならない。時が経てば騒ぎは収まるというようななし崩し感が、民意や投稿に記された不満や不信に現れているのではなかろうか。現在の市と民意には乖離(かいり)が生まれている。しかし、これを市政の危機と捉えるか、改善の良い機会と捉えるかは考え方ひとつだ。対応の仕方ひとつが崩壊か再構築かの分かれ道になる。