2018.10.04主張すべきを主張したのだろうか

 喉元を過ぎればなんとやら…と言う言葉がある。6月に玄海原発が再稼働した。再稼働前には本市や周辺自治体は反対表明をしてきた。しかし現在、本市に限って言えば、原発の話題も問題提議が起こることもない。過ぎてしまったものはしょうがないのか、はたまた誰も何も言わないから自ら何も言わない、あるいは日和見主義なのか。

 東日本大震災での福島第一原発事故は日本の未来に大きなマイナスを残す未曾有の事態となった。この事故を遠い東北の地の出来事として記憶が薄らいではいまいか。原発は多大なメリットもあれど、それ以上のリスクを伴う。隣接する以上、福一原発同様のリスクは常に起こり得ると考えておかねばならない。

 ある市民からの情報で、21日に市長をはじめ市幹部職員、市議らが玄海原発側から視察の誘いがあり訪問したという。当初は今年6月頃の視察予定が延期となり、この時期になったようだ。しかし市議会定例会9月会議の最中に、市議と執行部が揃って行くとは、何かあったのだろうか、と勘ぐってしまう。

 情報では、唐津港には玄海原発側から送迎も用意されていたようだ。ある議員に状況を聞くと、単なる視察であり再稼働後の説明等をうけたのみで日帰りで帰島したとのこと。

 市長をはじめとする執行部は、市議会などさまざまな場で市長自らも「壱岐市は一貫して反対」と意思表示をしてきた。さらに3月の市議会では議員自ら「再稼働に反対の決議」を可決し、同じく再稼働への反対表明をしている。

 玄海原発と本市の立地は30㌔圏内を含む地域がある隣接地と言っても過言ではない。また再稼働となってしまった現在では表立って声にはしないが、未だ根強く原発稼働に反対の意思を示す市民もいる。

 そういった市民の声と、また自ら声高に表明してきた再稼働への反対の意思は今回の視察で現してきたのだろうか。大々的な視察だったにも関わらず、市民やマスコミには告知すらされていない。それだけに玄海原発に到着した本市代表者らは「我々壱岐市民は、再稼働前から現在に至るまで一貫して反対の意思がある」と伝え、住民の安全確保に最大限の交渉を行ってきたのだろうか。

 玄海原発側からの誘いを受けて、友好な交流のみで終えた単なる視察だったのではないことを信じたい。原発事故の恐怖と全島民避難、そして万が一の場合の生活の場の喪失など、未だ明確で具体的な方法が示されていない事柄は山ほどある。市民の安全安心の生活を守るのが行政の責務であるならば、言うべきは言い、主張すべきは主張せねば、友好な視察は再稼働容認と、九州電力側との馴れ合いが生まれるだけになってしまう。

 友好関係以上に、市民の生活の確保こそが第一に考えるべき部分になる。今更言うまでもなくわかっているだろうが、市民が頼るべきは市長であり議員ら代表者しかいないのだ。交渉力こそが政治家の見せ所だ。今回の視察報告が今市議会中にあるのならば、良き報告が聞けることを期待したい。(大野英治)