2021.6.15いい加減少しは学ぼうではないか
重箱の隅をつつくような指摘だが、苦言をひとつ。毎年この時期の恒例ではあるが、市役所の新入職員に議会を傍聴させ、審議の様子を知ることで市政について学ぶという研修がある。市議会定例会6月会議の初日となる7日、傍聴席には新入職員と報道陣が着席し、20人以上で埋め尽くすこととなった。
しかし、今はコロナ禍であり、3密の回避は絶対に守らねばならない時期にある。ましてや、市民へ模範を示さねばならない市議会の場で、傍聴席が密になる状況が起きていた。この時の議場は窓の開放はされず、カーテンも閉まったまま、締め切ったフロアは室温も上昇し、上着を脱ぐ議員や傍聴者もいた。
全国的にもコロナが収束していないこの時期に、なぜ、新入職員の研修という理由で傍聴席が密になるような事態が起きてしまうのか。新型コロナ第4波が発生する以前から、市議会会期中の市民の傍聴は規制されていたのではないか。規制の理由は言うまでもなく感染防止のため、密の回避のためだ。市職員だけは、研修という理由のもとに、密が許されると言うのだろうか。
当日、この状況に危険を感じた当紙を含む報道記者数人は、開会1時間後には議場から退席した。密が起きたのだから当然だ。無論、傍聴席にいた新入職員が悪いわけではない。この状況を善しとして許可した上司、責任者側の判断能力に問題がある。何をどう考えて、この時期に密になる可能性が高い職員研修を実行したのか。
話をぶり返したくはないが、昨年4月の市長選前に市内で相次いで発生した感染者には、市職員関連による感染拡大があった。このことにより、市内経済は大打撃を受けた。そして今年1月、昨年末の市職員による大人数の会食により、またしても感染が広まった。
この二つの事案を市職員幹部、市長らはどのように受け止めているのか。まともならば、3密の回避を徹底せねばならないと考えるのではないか。今はまだ感染第4波の最中にあり、少しでも危険が伴う状況は避けねばならない時期だ。これは本市に限らず全国的な認識であり、行動のはずではないのか。それとも、止むに止まれぬ状況とでもいうのか。
本市、特に行政側の行動には時折疑問に思うことが多い。気の緩みなのか、何も考えていないのか、トップの指示に何も口を挟めないのか。気が付いてはいても進言する度胸がないのか。「おかしいことはおかしい。納得できないことはできない。言うべきことは言う」。この当たり前のことが出来なければ、夏目漱石の小説『草枕』にあるように「智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに人の世は住みにくい」だ。人づきあいの難しさを説いたものだが、「頑固」「人の意見に流される」では、住みにくい社会になる。
当たり前のことを当たり前にできないこの現状に、憤りを感じたことから苦言を呈した。良い市政にしたいのならば、小さなことの積み重ねを続けるしか改善の方法はないのだから。