2025.1.28発言なき議員は何のためにいる?
市議会1月会議を終え、市議会に対して不満に思うことを改めて実感した。市議会本会議の模様は市ケーブルテレビや壱岐FMで放送されているが、傍聴している市民はあることに気がつかないだろうか。一般質問の登壇は別として、議案審議、予算特別委員会、議案の討論など、ほぼ同じ顔ぶれの議員のみの発言に終始している。
結果として議会記事の場合、毎回、同じ議員の発言が掲載される。意図的に数人の議員のみをピックアップしているのではなく、他議員からの発言がほとんどないから、偏った議員のみの発言記事になってしまう。
特に12月会議のイルカパークの指定管理期間の1年延長に関しての採決は、賛成多数で可決した。しかし、延長に反対した議員らは、自分の意思を示すために反対討論に登壇した。一方で、賛成を示した議員からは一切の討論はなかった。
このようなことはこれまでの本会議ではざらにあった。なぜ、賛成ならば賛成の意を示さないのか。また、議案審議などで疑問や意見があるのならば、なぜ発言しないのか。もしくは何も言うことがないのか。いや、そのようなことはあるまい。少なくとも一つの議案に対して、一つや二つの意見はありそうなものだ。ちなみに記者は上程議案や執行部の説明を聞き、解釈したうえで毎回、記事にしている。何か思うところがあるから記事になるのだ。
以前(2023年11月10日発行号)の社説でも同様のことを書いた。一部を抜粋すれば「議会で感じたのは、意見や質問をする議員としない議員が明確に分かれることだ。無論、執行部に対して何でもかんでも意見や質問を投げかけていいものではないが、何も発言しないよりははるかに良い。審議中、無発言の議員は何も意見や思うところがないのだろうか。執行部側の説明に何一つ疑問もなく理解し、すべてに賛同しているのか。ただ座っているだけの『お地蔵さん議員』は必要ない」と厳しく指摘した。このことから「再び議会改革の議論を求める」と締めくくった。
「再び議会改革を」とは、2022年に議会のあり方を考えるため、議員らで構成した議会改革特別委員会を開いた件だ。その時の主な決定には▽議員定数は16人の現状維持▽政務活動費月1万円交付▽議員の育児休暇に関する規定の加筆修正など。あとは、会派制の導入くらいか。よく見れば自分らにとって都合の良い改革ばかりだ。このようなことで、活発で意味のある議会運営はできるのか。
7月末には次期市議選がある。現時点の情報では新たに5~6人の新人候補が現れるという。市民の中には、議員定数を16人から14人へ削減の見直しを求める声も聞く。このことが意味するものは何か。現市議会への期待の低下、何も変わらないというあきらめ感ではないのか。
誰のための市議会であり議員職なのかを考えてもらいたい。議員の主な仕事の一つには、市民の声を市政に伝え、市の施策や動向をくまなくチェックすることがある。いわば、発言することが意思を示す最大の場になる。言葉こそが仕事のバロメータだ。今年の次期市議選では、市民のために全力を尽くし、市の発展のための志ある議員の選出を願う。