2024.12.23島の歴史を変えていいはずがない

6日に芦辺町のクオリティーライフセンターつばさで開催した「はつらつ元気塾」は96人もの来場者があり大盛況だった。公演内容は、第二次世界大戦で起きた悲劇や人間模様、壱岐に関する出来事や体験談などを語り継ぐ、JA職員の立山淳さんによる平和講演。特に今回、本市の観光ガイド8人が参加した。

 講演の内容には、郷ノ浦町の黒崎砲台跡に関するものがあり、観光ガイドらも黒崎砲台について正しい歴史を学びたかったと言う。しかし、講演では意外な事実を知らされた。立山さんが語ったのは「市の観光ナビである『実りの島、壱岐』には、いくつか間違いがある」というものだった。以下、講演で指摘された箇所の一部を上げる。

▼黒崎砲台の砲塔は、以前は戦艦土佐のものであると案内板や歴史書に書かれていた。しかし、最近の調査により巡洋戦艦赤城のものであるということが判明している。『実りの島、壱岐』では戦艦赤城と表記してあるが、戦艦と巡洋戦艦は艦種が違う。巡洋戦艦赤城は砲塔を壱岐に設置し、その後は改造されて空母赤城となった。戦艦土佐とともに沈没したと間違って記されている。

▼『実りの島、壱岐』で、黒崎砲台の試射は1度だけ行われたのみと記すが、防衛省戦史資料室に保管されている旧陸軍の機密文書によれば、最低でも6回の試射が行われていた。最大射程距離は35㌔と掲載してあるが、正しくは30・3㌔。41㌢砲の新式の最大射程距離は35㌔だが、黒崎砲台が竣工した昭和8年時の砲塔は旧式である。

 立山さんは観光ガイドへ「観光客へ間違った歴史の説明をしないように」と繰り返した。

 本市は誰もが認識する観光の島、そして歴史と文化が残る島。その島民が発する島の情報は、受ける側は誰もが事実と思い込み受け取る。市観光連盟や市観光課は誤表記を知らなかったのか。もしくは把握していても訂正をしなかったのか。どちらにしても誤報であることに違いはない。観光関係所管は観光のプロであらねばならない。今回のように市民から指摘されて知ることなどあってはならない。仮にわからなければ、わかる人に謙虚に聞けば良い。

 コロナ禍以降、本市の観光は県下でも集客に差をつけられている。本気で観光の島を掲げるのであれば、プロによるプロの仕事でなければこの先も変わらない。そして何よりも、先人から引き継ぐ正しい島の歴史を、この代で変えてはならない。