2018.6.05初期対応の遅れが不信を招く
初期対応の遅れが不信を招く
市民に向けた説明や報告は行政の責務だ。
先月、湯本地区公民館敷地にある1㌧もの石碑が倒れ、地域の男児が下敷きになり緊急搬送された。「命に別状はない」と言うが、状況はそう安堵できるものではない。
当紙に掲載後、厳しい意見が寄せられた。「命に別状がないならそれでいいのか。子供の怪我は軽傷ではない。また公民館の管理責任というが、なんら市民に向けた報告や説明がない」と憤りの声があがっている。
この事故により、石碑がのしかかった男児の骨盤の損傷は尋常ではなく、今後、日常に戻れるまでのリハビリを必要とする怪我となった。当紙では始め事故の連絡を受け、内容を知ったのは壱岐署からのファックスのみ。その後は編集部で詳細を調べる為、管理責任がある市教育委員会に聞き取りをするなどした。
本市が定める公民館条例には「公民館の管理は壱岐市教育委員会に委任する」と明確に定義されている。管理とは建物のチェックや運営を確認するだけでなく、情報に関することも含まれる。情報とはすなわち説明責任も一つの情報であり、市民へ伝える責務もある。巷の辞書にも同様のことが記載されている。
しかし今回の事故に関して、管理側(市教委)からはなんら市民に向けた説明もなく、各報道に向けた記者会見もない。当紙の電話での取材に対しては「今後は全公民館の安全確認を進める」の回答のみ。安全確認は当然すべき事で否定はしないが、その事と今回の事故とはなんら関係がない。
安全確認は業務の一環として日頃からすべき事。事故に関しては管理側としての説明と、さらには公に向けた謝罪を行うべきではないのか。「安全確認を進めている」と声高らかに言われても、事故の管理責任が消えるわけではない。むしろ責任逃れにさえ聞こえる。
数年前からの市の対応を見て、市民に向けての行うべき説明や責任の所在、また場合によっては謝罪すべきことへの曖昧さを感じることが多々ある。壱岐の島民性は、表立って本人には言わないが、本人がいないところではいろいろと論じる。この島民性を良しとして、直接言ってこないから無下にしても構わない体質になってはいまいか。
世間を騒がす森友問題や日大アメフト問題などは、初期対応さえきちんとすれば、ここまで問題にならなかった。初期対応の遅れにより森友・日大アメフト問題のようにならぬよう、早期の対応を求む。(大野英治)