2023.12.26無責任発言は許されない

 市議会一般質問で、半年以上ぶりに郷ノ浦町で建設予定だった認定こども園についての質疑があった。質問した土谷勇二議員は、事業者の撤退を「残念でならない」と言い、答弁した市民部長も「残念な結果」と主観を述べた。いったい何に対しての「残念」なのか。なぜそのような無責任な言葉が言えるのか。発言に対し逆に「残念」の念にかられた。

 事業撤退の残念な結果を招いたのは、関係者自らの行為に他ならない。土砂災害と交通事故の危険性がある建設予定地の変更を求める民意をまったく聴こうとせず、頑固なまでに建設予定地の見直しをしなかった事業者であり、建設に関する各申請書の不備や事業者との意見調整を怠った市、それらについての十分な審議をしなかった市議会なのではないのか。

 繰り返すが、いったい誰に対し、何について残念だったのか。この安易な言葉には強い憤りを感じる。残念と思うならば、なぜ、計画段階で建設予定地の検証と事業者との意思の疎通、地域住民や保護者へ理解を得るための十分な説明など、なすべき仕事に取り組まなかったのか。残念なことをしたのは、子ども達の生命を二の次にし、建設ありきで計画を進めようとしていた関係者らではなかったのか。

 そのような経緯が理解できているのならば、市民や保護者に対し、少しは申し訳ない気持ちを持つべきだ。市、市議会、事業者の事業への取り組みに問題があったから残念な結果になったのだ。子どもを持つ保護者の言葉ならばともかく、建設計画の当事者らが「残念だ」など発すべきではない。

 振り返れば、事業撤退の意思を示した3月、事業者は「反対した市民団体、報道したマスコミが悪い」と理由を挙げた。この声明を市長や市は公の議場で報じた。しかし当時、反対した市民団体や当紙は、こども園建設自体に反対したわけではない。危険を伴う建設地が子どもの身を危険にさらし、将来的に負の施設となることを危惧したからこそ、建設予定地の変更を訴え続けた。この経緯がこども園建設撤退の事実だ。

 このような経緯の上で、「残念」など言うのは無責任極まりない。市民へ多大な迷惑と不安を与えたことへの反省と改善の弁をするのが、4町1園の認定こども園計画を目指す上で必要となる。このままでは、再び失態を繰り返さないか不安が募る。