2024.9.24今こそ「壱岐新時代」の手腕を
市議会9月会議の一般質問で、清水修議員が篠原一生市長に対し、柳田保育所閉所に関する質疑を述べた。
清水議員は柳田保育所閉所をしばらく延期してはどうかという趣旨の質問をした。篠原市長の答弁は、「仮に柳田保育所の園児募集をかける場合、閉所を行っていない志原保育所もともに募集を行うことになる」という。各保育所に1人でも入所希望があった場合には受け入れをすることになると危惧する。この予想から、篠原市長は「入所園児にとっては友だちがいない状況になり、集団での学びや活動の制限などのデメリットが生じる。保育士や職員の確保ができなくなるなど、他の保育所園児へのサービスの低下が懸念される」と一貫して閉所に肯定的な説明を続けた。
集団での学びの説明はこれまで、幾度となく聞いた。しかし今回は、その後の篠原市長の発言に強い違和感を感じる。
篠原市長は「方針を変え閉所を延長した場合、先に閉所した渡良、沼津、初山の3園、休所中の志原保育所を含めた4園の関係者、地域に対して市の方針変更について納得できる理由を伝えることができない」という。続けて「来年3月に閉所予定ということで柳田、志原保育所を選ばなかった保護者もいる。その保護者に、1年の延期を伝えた場合の影響力と批判があるのではと思う」。
都合の良い、我良しの言い分だ。先に閉所した保育所に対し、明確な閉所方針は伝えていたのか。地域住民は「認定こども園建設予定時に説明は聞いた。しかし、事業者撤退後の方針は聞いていない。地域には閉所セレモニー直前に初めて説明があった」と言う。それを「延期を伝えた時の影響力と批判」を理由にするなど、矛盾だらけではないのか。そもそも、説明が不足しているのが今回の問題のはずだ。
住民と保護者が提出した閉所延期に関する請願については「閉所に関する条例議案が通ったとしても、請願を認めないことはない。保護者に寄り添うという文言も一部盛り込みながら、みなが納得という形で進めたい」と言う。
この答弁も疑問だらけだ。閉所の条例が通れば市は閉所する大義名分ができる。一方で請願は閉所の延期を望んでいる。相反する考えに「請願を認めないことはない」と答えているが、では、市長は請願の何を認めると言うのか。
請願は「閉所の延期」。市は「閉所の決定」。このどこに「みなが納得」の形があるのか。あるのならば答弁で明確に示すべきではなかったのか。このような中身のない説明だから、保護者も住民も困惑し反発する。
うわべだけの言葉で誰が納得しようものか。かつて本市では、芦辺中学校新校舎建設地の選定、近年では認定こども園建設など、市の一方的な方針により住民との間に大きな溝ができた。結果、市は方針転換を余儀なくされた。市民の納得を得られなかったからこそ起きた溝だ。どちらも、選定地が危険エリアだったなど、市の方針に大きな誤りがあったことは、今になればよくわかる。形は違えど、今回も強引な方針を進めようとしている部分は同じだ。
今回、市と住民とで再び溝が生まれようとしている。市民が何を根拠に市の方針に異を唱えているのかを考え、これまでに市と市民とで起きた問題を再度思い出し、同じわだちを踏まないようにすべきだ。方針の変更を恐れるよりも、どのような形であれば納得できるのかに重点を置いてはどうか。これまでのやり方にとらわれない「壱岐新時代」を感じさせる手腕を見たい。