2019.1.08まさに因果応報が起きた年(平成30年を振り返る)

 平成30年を象徴する漢字に「災」が選ばれた。本市に目を向けても、同様に「災」が起きた年であると実感する。以前から危険視されていた郷ノ浦町の交通ビルでは、夏季に発生した台風による強風などで庇の倒壊や外壁が落下した。幸いにも通行人がいない時間帯でケガ人はいなかったが、今後の安全性を考えれば早急に手を打たねばならない。

 また一昨年の豪雨被害による道路倒壊や農地などの被害も、全てではないが復旧に向かっている。ただここ数年の豪雨や台風上陸、全国的な地震の発生を見れば、自然現象からくる「災」には備えておかねばならない。同様に自然災害から連動して影響が起きる玄海原発の稼働も油断できるものではない。

 

 そして市政に関わる「災」といえば、10月と11月に起きた県警捜査による本市の工事入札等の不適正の疑いだ。知らぬ間に何が起きて何が取り調べ対象だったのか不明のまま複数の県警捜査員が来島し、約1ヶ月間にも及ぶ捜査は結果的に誰も逮捕者は出ず、市民には安堵の結末だった。しかし本市の入札には不適正とされる疑わしき部分があったことは認めざるを得ない。それは成約率の高さなどを見れば、一目瞭然だからだ。捜査上では100㌫の確証がなければ逮捕には至らない。言い換えれば90パーセントの疑いや不適正は逃れることができる。現時点で本市入札は不適正0㌫と言えるのか。もしも90㌫の不適正がある中で捜査を終えているのであれば、市は自浄による健全化をせねば、今後、再び捜査対象になるのではないか。

 

 この一年の市政の対応は、市民に対してあまりにも密室化し、市民と行政の考えの乖離があるように思える。10月には多くの市民の話題となった観光大使によるイベント「縄文祭」も、きちんとした情報入手と分析があり、明確な市民説明があれば混乱は回避できたはずだ。同様に今年5月に行った無人航空機実証実験も、市民への周知不足どころか、取材側から見れば当初は「隠蔽なのか」とさえ疑う情報開示の遅さだった。今月に決まった市長や議員らの報酬等の改正も、行政は「市民目線なのか、他自治体との比較による自分ら目線なのか」と疑問が生じた。

 

 「災」は自然からだけでなく人為的にも起こる。正しきことを正しく行い、正しく物事を考えていかねば様々な部分から「災」は押し寄せてくる。起きるべくして起きた本市の事案は「因果応報」から来たものだ。(大野英治)