2022.4.25○○派と決め付ける無意味さ
前号で掲載した「雇用機会拡充事業の採択に疑問あり」は思わぬ反響に驚いた。投稿人の質問にあった「採択された中に優遇されている事業者がいるのではないか」については、審査会に委ねられた部分であり、調べるには時間と労力がかかるため、今回は追及できなかった。しかし、何よりも驚いたのが、当紙の想像以上に採択基準に疑問を持つ市民が多かったことだ。
実は前号で投稿を掲載するにあたり、投稿人とはメールで内容確認などいくつかのやり取りをした。前号で掲載はしなかったが、投稿人の意見として「森の図書室について、『おかしい』と思っても、追及することで『親森派』と思われる人からの非難を恐れる人もいると聞く」という。「言いたいことが言えない風潮では、今と何ら変わらない市政のまま」と厳しい見方をする。
投稿人の意見は当紙に対してもあった。「貴社は反市長の森議員を推している(?)ので本件は掲載しにくいように思うが、どのような人や立場であっても市民の疑問点を洗い出すそんな新聞社だと思っている」という。
投稿人の指摘は、全体の文面を通し、重要かつ今後の市政を考える上で非常に的を得る内容に思えることから、投稿人には以下の内容を返信した。「森議員の場合は公人であり、市民の疑問に答える義務があるのは当然と考える」と伝えた。
市民の中には「〇〇派、反〇〇派」とレッテルを貼りたがるという傾向が見える。市議選期間中の昨年7月23日号の当紙「波の響」欄で「筆者も頻繁にこの扱いを受けてきた。『あの新聞は何々派』など。この根拠は何か」と否定した。
投稿人は森議員に対して「市や市長を攻める得意の論法で、自らの口で語ってほしい」と記載していたが、このことは当紙に対しても指摘していると受け止め、投稿人に対してさらに以下のように回答した。
「当紙は攻める論法を得意にしているわけではない。ただ、市や市長、議員に対し一貫して言っているのは、説明不足と説明責任を果たしていないことが起きる。明確な責任が不足しているため、結果的に追及せざるを得ないことになる。さらに言えば『公正と公平さ』に欠けた行為は許し難いと考える。最近では市長の入札指名回避の民事訴訟や、教育長による教員へのパワハラ疑惑などが一例だ。基本的にこの2点が欠けているために、紙面では厳しい論調の印象になる」と答えた。
当紙の追及スタンスは「〇〇派、反〇〇派」などが基準ではなく「説明責任と公平公正さの欠如」に尽きる。これらは公人であれば当然の義務だ。よって議員や三役、市職員幹部は公人としての追及の対象になる。
なぜ今回、投稿人とメールで個別にやり取りをした内容を掲載したのかは、冒頭に述べた反響の中に「森議員への追及記事に驚いた」「市長派に寝返ったのか」など、誤解を招く声が寄せられたからだ。繰り返すが当紙には「〇〇派、反〇〇派」などない。