2019.4.16イルカパーク周辺に産廃土が露出

貴重な遺跡が残る周辺土壌に大量の産廃物埋め立てが発覚

 

 4月末からリニューアルに向けて着々と準備を進める壱岐イルカパークだが、昨年まで市の所有地だった同園敷地の周辺で、大量の産廃土が露出している。隣には、串山ミルメ浦遺跡もあり島内では貴重な場所として、旧4町時代から学術調査が行われている。平成元年頃、遺跡横の湾を埋め立て人工の湾となった。市は昨年、民間に同園横の土地を売却した。購入者が土地の整備のために草木などを伐採したところ、大量の産廃物が見つかった。購入者は現在、むき出しになった産廃物の撤去を自ら行なっているという。疑問は2つある。「市は産廃物の存在を把握していたのか。把握していた場合、土地購入者に事前の告知はしたのか。また、園周辺を含む土壌と水質調査は行ったのか」。同園はリニューアル後、今月25日にオープンする。今年度から本市観光の要になるだけに、早急な対応と問題の解決が求められる。

 

 昨年3月、市は同園駐車場横の空き地を民間に売却した。購入者は今年に入り、工事業者に雑草や竹の伐採など土地の整備を依頼したが、その際に敷地から大量のごみやプラスチック系のボトル、車両用のバッテリー、農薬が入っていたと思われる空き瓶などの産業廃棄物が地中からも掘り出された。さらに一部の土壌は墨のように黒ずんだ箇所があることもわかった。整備を進めていた工事業者は「土を掘り起こす時の土埃が理由かはわからないが、作業中に目がチカチカと痛くなった」と話している。土地の所有者は埋め立て地の現状に不安を抱き、土壌の一部を島外の専門機関へ送り、調査の依頼を考えているようだ。

 同園は開園から多くのイルカを飼育しているが、原因不明で死ぬことが度々起きていた。これまでに報告された死因は、湾内に残ったビニール類を飲み込んだためなどとなっているが、以前から海底にたまったヘドロ状の土から水質の悪化の疑いも言われてきた。数十年前、別件で当時の関係者に取材した際、死因のひとつに原因不明も含まれていた。

 問題となる土地は園に隣接し、さらに園自体も同時期に埋め立てにより作られた地で、かつては海だった場所だ。周辺住民によれば「大雨が降った時などは、周囲の雨水が入江に流れ込んでいる。一部に土砂も混じっているのでは」と話す。また、人工の入り江のためか、潮の流れが悪くヘドロ状の堆積物が溜まる問題も起きていた。「土壌に埋まっていた有害なものが流れ込んでいた可能性も考えられるのでは」と住民は話している。ただ、市観光課担当者は「平成28年頃に水質調査は行った。生物に影響することはない」とする。しかし、雨水流入や潮の流れで、水質は流動的であることは否めず、今後の定期的な調査継続は必要だ。

 問題の土地は、同園駐車場から入る道があり、奥に進めば施設反対側から湾を望むことができる穴場的なスポット。今後、リニューアルに伴い来場者が増えた場合は、興味本位で侵入する者が増えることも考えられる。侵入した場合は道路横の産廃土が目前に見え、園の印象に大きく影響する懸念がある。

 

旧勝本町時代の事業

 開園から30年以上経ち、当時の工事関係者などの詳細については現時点ではわからないまま。土壌下にはどれだけの量のごみが埋もれているか不明だ。市は購入者に対して販売時に土壌について説明はしていない。市観光課担当者は「市職員に建設当時を記憶するものはいない。担当者レベルでは土壌の状態は知らなかった」と把握していなかったとする。ただ、旧4町時代から市政合併にかけ、行政の継続性はどうなのか疑問は残る。また、最近まで市の所有する土地であるため、土地販売の責任は残される。

 イルカパークは、旧勝本町時代に串山海洋公園として平成元年から総事業費約5億2000万円でイルカプールや駐車場などを整備して公園化し、平成7年にオープンした。公園敷地は、本来の天然の入り江であった湾を埋め立て、建設のために敷地を広げた。建設時から約30年以上が経つため、工事内容や埋め立て物などを示す資料も所在不明のため、現在のところ詳細はわからない。

 近年では、関西の森友学園で「産廃土」「廃棄物混じり土」「ごみ混じりの土砂」の問題があっり、建設予定地から廃棄物が露出し注目された。産廃土については、廃棄物処理法が改正する平成9年以前は、埋め立て地を廃棄物の最終処分場とすることは合法だった。同園建設は平成元年頃であり、廃棄物が混じる土を埋め立てに使用することは、当たり前に行われていた時代になる。

 しかし、現在は土地の売買において、産廃物が埋まっている場合、売り手は告知とともに適切な対応をしなければならない。全国では、告知を怠り後に訴訟問題になった事例もある。過去の賠償事例では、売り手側への責任を求める傾向が高いようだ。

 

学術的に貴重な遺跡が残る周辺地

 周辺の串山ミルメ浦遺跡は、1979年海岸の道路工事に伴う九州大学の調査と、1987年勝本町教育委員会の依頼により県教育委員会が調査を行った。遺構は住居跡1棟・炉跡・カマド・人骨埋葬の土坑などが発見され、遺物も土師器・須恵器・砥石・骨角器などが出土した。特に注目されたのは亀の甲羅を利用した亀トの出土で、干しアワビ生産に関する豊漁を願って吉凶を占ったと考えられる。「延喜式」には「壱岐・対馬・伊豆から朝廷に占いの優良者を迎えた」とあり、文献を裏付ける結果となった。これらの発見から6世紀から7世紀にかけての生産遺跡であることがうかがえ、壱岐島の古墳文化と中央政権との関係を結ぶ貴重な遺跡である。