2021.6.22財政は本当に健全なのか

 補助金などを削減した市の財政状況は、今も市民の関心が高いことが市議会6月会議の一般質問にも表れていた。登壇した議員の考えも各自違いがあり、「今は財政危機。リコール活動で市民の不安の声を知った」と発言する議員もいれば、「財政改革を理由にしたリコールの意味がわからない」と真っ向から食い違う。他には「高齢者サービスを削ってまでやらねばならない改革なのか」など千差万別の考えだった。

 財政改革のひとつに挙がるのが「財政調整基金」の将来。市が毎年公表する中期財政計画では、明らかに令和6年以降、基金が枯渇する予想だった。市長はそのため、「今のうちに財政改革をせねば将来に負担を残す」という。何が正しく、何が間違っているのか。

 知り合いから、有識者による財政について分かりやすく解説した説明文書があると教えてもらった。その内容は専門知識を有しながらも言葉には説得力があり、分かりやすい。

 文書には「新型コロナの対策費に充てるため、全国の多くの自治体が財政調整基金を取り崩している」とあり、「多額の取り崩しをしても自治体の財政は大丈夫なのか」と問題提起している。財政調整基金は、「毎年度の収入と支出の差額である決算剰余金を積み立てたもので、将来、何らかの財政需要が発生したときに取り崩し、その年度の収入として使うことができる」というもの。

 コロナ禍のような不測の事態に、経済支援策などで取り崩すお金があるのは、「これまでの積立金があったおかげで使うことができる財政運営の結果」とする。しかし、「基金などの調整財源がなければ、限られた収入をより優先順位の高い経費の支出に充て、その結果、優先順位の低い施策事業が淘汰され、廃止や見直しを余儀なくされていく」という。そして、「将来の備えのために貯金をすることに躍起になって、現在の住民サービスをおろそかにすることは、納税している市民から本末転倒だと怒られてしまうかもしれない」とある。まさに今の市政を表しているように思えないか。

 また、財政調整基金について「これはまずいと思われる事象がある」という。毎年度の決算で得られる剰余金の積立額よりも毎年度の取り崩しが多い、つまり基金の残高が減少することが毎年続いている場合だ。家計に例えて、毎月の収入が30万円では毎月50万円の贅沢な生活はできない。毎月必要な経費は30万円の範囲でやりくりしないといけない。貯金があるといって、毎月取り崩して食費や家賃などに充てていけば、貯金がなくなった時点で生活レベルを維持することはできなくなる」という。

 最後に「すでに毎年収入が足りず基金を取り崩しているのであれば要注意。数年後には相当大幅な事業の見直し、削減をしなければ予算を組めないかもしれない」としている。

 以上は、財政についての有識者の話だ。本市はこのような状況にはなっていないと、胸を張って主張できるだろうか。