2022.3.01慎重に意見を聞いて方針を

 歴史ある校歌を変えるか否かで、鯨伏地区の住民の意見が真っ二つに割れている。鯨伏小の校歌は、作曲は勝本町本宮南触の山口常光氏、作詞は郷ノ浦町沼津の福田茂樹氏が担当し、1921(大正10)年に誕生。100年もの歴史があり、市内の学校の中では最も長きにわたり歌われ続けている。

 改作について、地域住民は「校歌を変える話があったことを知らなかった」「4番まである校歌の2、3番だけを変えるものと思っていた」と複雑な心境のようだ。

 改作のきっかけとなった歌詞は前号でも記したが、2番に「韓を討たしし跡問わん」、3番に「元軍来り刀伊はよせ(途中略)紅葉はあけに血は染めり」などのフレーズが盛り込まれ、鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)を思わせる一部の内容が現代に合わないとされた。

 同校卒業生に話を聞くと、「校歌に2、3番があることを知らなかった」という。これまで同校では1番と4番だけが歌われてきた。2、3番は忘れ去られた歌詞になっていた。当初は、問題の歌詞部分だけを見直す目的で改作が始まったはずなのだが。

 地域住民や関係者に経緯を聞いた。令和2年、地域住民から校歌改作の提案を受け、鯨伏小支援会議「鯨の会」で協議が始まった。鯨伏小では教職員の意見を聞くためにアンケートを実施、徐々に改作の機運が高まっていった。令和3年、鯨っ子育成協議会(会員28人)で協議を重ね、全歌詞の改作が案として上がった。その後、新たな作詞者と教職員により、新校歌が完成した。

 同校校長は2日、保護者宛に「校歌の新たな歌詞について」通達する書面を配布した。その書面には「鯨っ子育成協議会の手により歌詞の改作がなされ、新たな歌詞が誕生した」とあり「家庭で話題にしたり、一緒に口ずさんでください」ともある。また「これから歌っていきましょう」とのメッセージもある。

 ただ、今回の取材で腑に落ちない話がある。一部の鯨っ子育成協議会会員は経緯を知らなかったという。さらに、協議は書面での通知のみで具体的な話もなかったという人もいた。地域住民も寝耳に水の状況だった。

 鯨伏地区まちづくり協議会には地域住民から問い合わせが殺到した。事態を重く見た同まち協は、地域住民437戸へアンケートを行い、意見を求めた。同校は「新たな歌詞は案であり、決定ではない」という。しかし、新たな歌詞は書面で児童の手に渡り、3月18日の卒業式に向けて自主練習に励む子もいると聞く。

 いったい何が正しくて、何が誤解なのか。もしくはその場しのぎで対応の変更をしているのか。地域住民や卒業生らの思いは汲み取られているのか。そして、改作は当初2、3番のみのはずが、なぜすべてになってしまったのか。案なのか確定なのか。大人の都合により、子ども達が振り回される事態になってはいないか。

 歴史と伝統のある校歌を変えることは、慎重に議論せねば、このような疑念を巻き起こす。