2021.3.09まずは自ら身を切る削減からだ

市民から財政難の痛みが始まるのか

 市の財源不足は、来年度からの住民サービスや仕事の受注契約などにも影響がおよび始めた。前号社説では「市の財政は我々市民の生活やサービスに直結する。このまま基金を取り崩し続けた先は、貯金もなく借金で首が回らない事態に陥る可能性がある。抜本的な改革と共に事態の原因と検証をせねば、とても安心した市民生活など出来はしない」と締めくくった。

 この意味は、市政運営を担う行政側がまず経費削減や無駄、あるいは今は急ぐ時ではない事業、財政状況とバランスが取れない事業の見直しで、痛みを伴う改革を自ら示し、その後に市民にも協力と納得を得て共に苦境を乗り越えていく思いで書いたつもりだ。それほど、市の財政状況は将来的に楽観視できない状況が進んでいるのだが、現実は逆のようだ。

 現在、一部の市民へは、来年度以降の補助金や契約など、市担当職員から解約の連絡が届いている。理由はどれも「市の予算がないので、ご理解ください」というもの。市民に理解を求めるのならば、まずは自らの身を削るのが先ではないのか。例えば市の公用車のうち一台はトヨタプリウスPHVという車種で、販売価格は約400万円もする。市の財政が厳しければ、市民の契約を解約する前に、まずは高額な公用車を処分、あるいはリースを解約するなどして、身を削るべきではないか。市の所有する不動産関係も早急に売却するなどして現金化すべきだ。暴論かもしれないが、市の財政が危機的であれば、市民の生活や仕事を犠牲にする前に、まずは自ら手本を見せろという意味で言っている。

 これまでに市が提案している事業には、郷ノ浦図書館の新設や健診センター建設など、巨額を要する「箱モノ」もある。また、AI(人工知能)やビッグデータなどの先端技術を活用したまちづくりを構築するという、これも巨額の予算を要すると考えられるスーパーシティ構想があり、先月から連携事業の公募を始めている。新事業の着手や自ら身を削るのを後回しにし、子育て支援や高齢者福祉関係を先に削ろうなどと考えてはいまいか。

 東京事務所の年間約1千万円の予算、多額の施設運営費や管理費など、見直すべき事業は山ほどあるはずだ。今回、財源不足の状況から、議案に上程した市長、副市長、教育長の給料減額案は、5月から令和6年3月(任期満了時)までの間、給与の1割減額とした。しかし、なぜ5月からなのか。3月議会で可決を求めるならば、なぜ4月から始めないのか。おそらく、1月会議で可決した新型コロナによる責任としての減給1割と重なるために、4月からの給料2割減給を避けたのではないのか。

市民生活と安心優先の市政なのか

 新型コロナへのワクチン接種で、河野大臣は4月中旬から高齢者の接種とともに、同時期に離島民への接種の可能性を会見で述べた。しかし、市は「全ての離島で接種可能になるわけではない。国に沿う」と消極的だ。

 可能か不可能か、国がやるやらないの話ではない。可能性追求の努力の話だ。行政や政治家は、可能性があるなら住民生活や健康のため、全力で可能性を引き寄せ実現することが仕事ではないのか。大臣が可能性を示唆したというのに、この消極的な考えはいかがなものか。住民に関する重要な言葉を大臣が発したのならば、真の行政人ならば全力を持って交渉なり、対応なりの意思を固めるべきではないのか。

 本市は、気候非常事態宣言やSDGs未来都市など、全国に先駆けて手を挙げている。市の体制づくりや未来にむけた施策も大事だが、同様に今この時の市民生活も大事なはずだ。ワクチン接種の可能性がわずかでも見えたのならば、なぜ同じように他に先駆けて積極的な働きかけができないのか。市の体裁や島外に向けた存在アピールばかりに目が向き、肝心の市民生活が二の次になってはいまいか。

 ましてや、市長や一部市職員は、年末年始にかけて市内で新型コロナ感染拡大を招き、市民の生命を危機に陥れた。それにより、市民生活や経済もズタズタにされた。全国の自治体がコロナ感染拡大を防止するのに必死になっている中、大人数による会食を開き、感染防止を警鐘するルールを破った行為をしたではないか。その反省の気持ちがあるなら、なによりも市民の安心できる生活を全力で整えていくことこそが、もっとも早急にやるべき仕事のはずだ。

 市の予算による福祉や子育てサービスの質の低下や、事業者を的にした解約や経費削減の現状を見て、ただただ怒りしかない。市政運営はこれまで何をやっていたのか、なぜこうなったのか。この先の市民生活をどうしていきたいのか。

 財源確保の対策として、自らよりも先に市民へ痛みを与える行為には到底納得できない。この事態を考えれば考えるほど、早期に手を打てなかったのか悔いが残る。市民のための市政運営意識はどこにあるのか。